「自衛」は「殺戮」の合いことば(靖国神社・東京)
“Self-Defence” is “Man-Slaughtering” in practice here.
A級戦犯こそが、靖国神話の主役
戦没者問題が、国内的にも国際的にも最も熱い火種となっているのは
「靖国神社」だろう。それはここに祀られている230万の戦没者と一緒に、
14名のA級戦犯を合祀しているからに他ならない。
14名を外せばいいのではないか?外せないのはA級戦犯の合祀こそ靖国の
生命線だからであろう。
A級戦犯は、侵略戦争を計画し遂行した中心的指導者たちであった。
彼らをその通りの主犯と認めることは、日本の戦争を侵略戦争と認めることになり、
その上、戦没者と合祀することは彼らすべてを侵略者にすることになり、靖国は
成り立たなくなる。このストーリーを逆転する架空の物語作りが必要となる。
A級戦犯が主導した戦争は、「正義の戦争=聖戦」であったというサクセス・スト
ーリが~。かくして、聖戦の優れた指導者たちが、国のために尊い命を捧げた
230万の御霊とともに祀られているという靖国神話を作り上げる。A級戦犯こそ
靖国の主人公であり、合祀を撤回すれば靖国は消える運命にあるだろう。
満州事変以降、アジア太平洋戦争終結までの15年間にわたる戦争はみな
「自存自衛のための聖戦」であったと靖国は言い続けている。東京裁判でも
パリ不戦条約を盾に、戦犯たちはひたすら「自存自衛のための戦争」だと
一徹に主張した。
「侵略」を「自衛」のためと宣言し、暴虐つくす
しかし、ことばでゴマカスことは出来ない。15年戦争はその始まり
(柳条湖事件・満州事変の始まり)からして、満鉄線路を自ら爆破して
中国軍の攻撃と偽り、直ちに軍隊を出動させ、翌朝までには奉天全市を制圧。
これを「自衛の発動」と正当化している。また日中全面戦争のきっかけと
なった廬溝橋事件でも、居留民(邦人)保護の「自衛行動」と称して侵攻し、
8年以上にわたって百万の軍隊を大陸に送り込み暴虐を欲しいままにした。
続くハワイ真珠湾攻撃当日の開戦の「詔勅」でも、「帝国は今や自存自衛の為
蹶然起って」と述べている。
日米開戦前年の1940年には「日本の生存圏」を世界地図に書き込み、
計画通りにアジア全域を侵犯して行った。結果2千数百万もの人々を殺戮し、
わが国でも310万人を犠牲にした。これを15年にわたって続行した蛮行を、
「侵略戦争」と言わずして何という?これらをわが国の「自存自衛のための
聖戦」だと世界の誰が認めようか。この幾重にも塗り固められたウソの上に
靖国は存在している。その頂点にA級戦犯が祀られている。
「自衛」は、「侵略」と読む
教訓は何か~。満州事変の始まりから、太平洋戦争終結に至る15年戦争すべて
を「自衛のための聖戦」とすることによって、軍国日本の手放しの暴虐を正当化した
というのが真実だろう。しかし暴虐の論理はこれで終わったわけではない。
「戦後レジュームからの脱却」は、「15年戦争への回帰」そのものを意味するが、
その先兵を担う「集団的自衛権の行使容認」もまた「国を守るための抑止力」と繰り
返している。
「自衛のため」と言った後に何がやってきたのか?「自衛のため=その後殺戮」の
連鎖だ。今もなお、この一つ覚えが通用するとすれば、それは「裸の王様」だけ
だろう。
靖国参拝、崩れた舞台裏
靖国参拝のコメントに曰く、「国のために戦い尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げた」などときれい事を言っているが、230万人の戦没者のうち
60%(138万人)以上は、飢餓によってノタレジニにさせられた人たちである。
その「尊い命」を誰が犠牲にしたのだ?A級戦犯・軍国国家の責任放棄こそ指弾されるべきだろう。
靖国・遊就館に並べられた無数の戦争グッズは、いずれも「裸の王様」の物語に
ふさわしい品々であったことを付記しておきたい。
「八紘為宇」を世界に放つ? (石川護国神社・金沢市)
“Japanese Universal Brotherhood” in current status.
靖国の片肺を演ずる
金沢が誇る兼六園に近接する石川護国神社周辺一帯のエリアには、
戦没者の碑が祀られている。エリアの印象は、そのメッセージ性において
靖国の片肺を担っているように見える。
その中心的存在は、神社参道の正面に建立された高さ12mの「大東亜聖戦大碑」
だろう。その裏面には「八紘為宇」と刻まれる。
「八紘為宇」とは、世界を天皇のもとに一つの家となすの意。表裏の碑文は「大東
亜戦争は天皇によって遂行された聖戦(崇高な戦争)である」となろう。
市民と相容れない、靖国エリア
崇高な戦争とは、靖国がいうところの「自存自衛のための正義の戦争」と同義で
ある。
この聖戦大碑は、2000年の建立の当初から、戦争美化の大碑撤去を求める
反対運動に直面し賛否の火を噴いている。石川護国神社は、明治以降から
太平洋戦争終結に至るまでの戦没者44,800余人を祀る。
金沢城とともに世界遺産の登録を目指すという兼六園のそばに、戦争美化の
靖国エリアが共存するという光景を、人々は歓迎するであろうか。
すでに公園の中にあること自体が問われている。
戦争中は、人間よりはるかに高価と伝えられた「馬」の碑があったのが、
印象に残った。