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人間の尊厳をみる (英連邦戦没者墓地・横浜)

Know the meaning of Human Rights.

美しい公園墓地に「勇敢な息子たち」1853名

「戦没者墓地」の概念をすっかり変えてしまう光景に出合うことになった。
正面を入ると、墓地を管理している数名の人たちが清掃車を伴って作業する姿が
見えていた。広大(8㌶)な墓地全体が整然とデザイン・清掃されていて感嘆した。
それは埋葬されている戦没者の一人ひとりが、どのように扱われているかに
かかわる問題だと直感された。日本の戦没者墓地との余りの相異に~。
墓標には「彼は皆から愛され、思い出に残る勇敢な息子だった」など、遺族のことば
なども刻まれている。一人ひとりの墓碑は独立したスペースを持ち、訪問したときは
墓碑の側に赤いバラの花が咲いていた。1853名が眠る。

日本軍、捕虜を本土に連行。過酷な使役...

当「英連邦戦没者墓地」は、第2次世界大戦中に日本軍に捕虜として連行さられ
た兵士や民間人が眠る国内唯一の墓地で、4つの地区に分かれて埋葬されている。
英国、オーストラリヤ、インド、ニュージランド・カナダなどの合同墓地になって
いる。
死者は、炭坑、工場、造船所などによる過酷な使役、伝染病、栄養失調、空襲など
による死亡、3分の1は獄中でいのちを断たれたとされる。
没年20歳前後の若者たちの墓碑が遙か彼方まで続いていた。
わが国の戦没者ばかりを見てきた目に、殺された人たちの存在を刻印する。
殺されたのは、みな若者たちであることも~。

平和の波 永遠なれ (平和の礎・沖縄)

Waves of Peace Forever !

「平和の心」を世界に

沖縄の戦没者墓地「平和の礎」は、再び沖縄戦を思い起こす悪夢の再来と
なるのだろうか?沖縄戦終結50周年を祈念して1995年に「平和の心」を世界に
伝えようと建立された。石碑には国籍、軍人、非軍人の別なく、沖縄戦で亡くなった
ほとんどすべての人々の名前が刻まれている。241,281名。2014年6月現在)

沖縄が「本土の捨て石」を、跳ね返す日

沖縄戦が残酷を極めたのは、米軍の日本本土上陸を足止めする戦略から
持久戦に持ち込まれたためとされる。日本軍は首里放棄後も南部に移動。
南へと避難した10万余の住民が殺戮戦に巻き込まれる。ひめゆり部隊の自決
などの悲惨もそのひとつだ。かくして沖縄は「本土の捨て石」とされた。
いまも在日米軍基地面積の74%が沖縄にある。普天間基地の代替え基地に、
同じ沖縄名護市辺野古への県内移設のたらい回しが始動している。
「本土の捨て石」とされて来た沖縄が、その屈辱を跳ね返す日が必ず来る
に違いない。

「平和の礎」は「日本国憲法」と双肩

「平和の心」を世界に伝えようとした「平和の礎」は、世界に向けて
平和宣言した「日本国憲法」とは双肩である。今日、両肩とも血を流している。
どちらを失っても沖縄戦24万の死者の心に再び残酷の死を与え、それはまた、
日本国をも死に追い込むことになるだろう。
(「平和の波 永遠なれ」は、「平和の礎」建立のコンセプト・ワード)。