元安川に映るヒロシマ
Hiroshima reflected on Motoyasu river
原爆投下〜その時から、原爆ドーム前を流れる元安川は修羅場と化していた。
水、水、〜と叫ぶ人たちが、広い元安川に身を投じていった。
川沿いの焼けつく道路にも、生死をさ迷う無数の人たちが横たわっていた。
☆〜あれから何年かたったある日、ヒロシマを訪れていた。晴天だった。
思いがけない光景に出くわした。かつて死者たちが連なって浮かんでいたあの元安
川で、水着や白い水泳帽を着けた人たちが、はしゃぎながら泳いでいるではないか。
なぜか一瞬、ヒロシマが解凍していく思いがした。
☆〜そして、また訪れたとき、別の光景に遭遇する。
原爆ドーム前の元安川の川底から、大きな石材をクレーンで吊り上げている光景に
出くわす。それは広島大学が進めているプロジェクトで、原爆の爆風によって飛散し
た原爆ドームの石材を引き上げる作業であった。数年前から取り組んでいるという。
そこに、原爆養護ホームに入所している被爆者の方々数名が見えていて、引き上げ
作業を見守っていた。被爆者の方は目に涙を浮かべている。
「あの石は、被爆して水を求めて川に飛び込んだ人たちと一緒に苦しんでくれたと
思います。二度とこんな悲劇を繰り返してはいけません」。
(広島大学:https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/40318)
ヒロシマの心は、バリアを超えて石材に語りかける。手を伸ばして石の肌に触れ、
一体となる。想像力が石を人の心に変えて語り合う。そして自らが生き続けている
証左とするさまは、人の究極の営みではなかろうか。
被爆一年目、アオギリの芽吹きにいのちを得たときの広島のいのちの原点が、
70余年後のきょうも流れ続けている。
それらは、あの一瞬の熱風の中で溶解し一体となり、息付いているかにみえる。
☆〜毎年8月6日の夜〜原爆ドーム前を流れる元安川は、一万人もの人たちの
思いを乗せた灯籠の光りに染められる。
「戦争絶対イヤ」「核兵器NO!」「愛してるよ」「会いに来たよ」〜。
灯籠の書き込みが揺れる。
不思議なことに、身を寄せる光たちは海の方へとは流れない。上流の原爆ドームの方へ、
原爆投下の目印にされた相生橋の方へとせり上がって行くのだ。潮の流れも
ヒロシマとともにあるかのようだ。
やがて寄り集まる無数の光が、空高くに登って行くのが見える。一つひとつの灯は、
あの日同じ川面から天に昇った何千もの魂を追いかけるようだ。
元安川は、広島の心を映して、きょうも静かに流れている。