「折り鶴」は世界を飛び交う
“Paper cranes” fly across the world
佐々木禎子(さだこ)ちゃんは2才で被爆した。
突然10年後に白血病と診断され入院することになる。お見舞いに千羽鶴を贈られ、
願いをかなえてくれるという折り鶴に、生き続けたい祈りを込めて一心に鶴を折り始
める。一千数百羽を折ったとされるが願いはかなわず、入院8ヵ月で12才で生涯を
閉ざされた。
彼女の死後、同級生の発案から始まった「原爆の子像」建立の運動は全国に広が
り、3年後には完成する。実話「サダコと折り鶴の物語」は、世界に飛びたっていった。
少女の祈りは、被爆した人たちの平和への祈りのシンボルとなり、
世界の心を結んでいく。
彼女が亡くなった1955年。ヒロシマ、ナガサキで原爆症が深刻化する中、すでに
アメリカ、ソ連の核実験が繰り返されていた。これが今日の核兵器の深刻な状況
まで延々とつながっていくのだ。
そして2017年、ニューヨークの「核兵器禁止条約」を検討する国連会議場に、折り鶴
が舞い降りた。唯一の被爆国である日本政府が、会議をボイコットしたテーブルの上
に〜。その両翼には「wish you were here」「nuclear ban 」と書かれている。
(「あなたがここにいてくれたら」「核兵器禁止」)。
その折り鶴が、サダコの折った鶴かも知れないと日本代表が気づくことは決してなかった。
ヒロシマを投げ出してはばからない者たちに、世界は失望し批判を浴びせた。
サダコは一度は原爆に消された。二度目はこともあろうに自国政府に〜。
だが、サダコは不死身だ。消されることはい。
いまや平和のシンボルとして世界の心の空を飛び交っている。